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雛人形(ひな人形)の歴史〜

形代(かたしろ)→天児(あまがつ)・這子(ほうこ)→立雛・紙雛→室町雛→内裏雛→寛永雛→享保雛→次郎左衛門雛→有職雛→古今雛〜〜〜


形代(かたしろ)


 


・「形代」(かたしろ)は、身代わり信仰の現われで、人間の身代わりとされました。
三月の上巳の節句に、この
形代で体を撫でて、身のけがれや禍いを人形(ひとがた)に移し代わらせて、川や海に流して幼子の無事な成長を祈るものでした。

・「形代」(かたしろ)は、古代からのものです。
縄文の土偶、弥生の人面土器、古墳時代の人物埴輪などからも推測することが出来ます。
古代では祓以外にも、多分に呪術的な要素も多かったのではないかと言われています。

・流してしまうのですから、素材も簡素なものでした。
現在と異なり、紙は貴重品でしたから、草木などが使用されていました。


天児(あまがつ)這子(ほうこ)

  ※遠山記念館蔵(ホームページ参照)

天児(あまがつ)と這子(ほうこ)は、幼児の枕辺におかれ、上巳の節句」(じょうしのせっく)に使用され、幼子の病気や災厄をはらい、無事な成長を祈るものでした。


■立雛・紙雛(たちびな・かみびな)

      ・立雛(京都国立博物館蔵)

・天児(あまがつ)が男子、這子(ほうこ)が女子とされて、一対の立雛の原型となったと言われています。


・人形の文字が「ひとがた」から「にんぎょう」と呼ばれるようになったのは、中世の頃からといわれています。それとともに、「ひひな遊び」も「ひいな遊び」から「ひな遊び」へと表現が変化してきました。

・その頃、紙雛が登場する。室町風俗を写したものとされ、男雛は烏帽子、袴に小袖を左右に広げ、女雛は袖を前に重ねて細幅の帯姿のデザインでした。素材も紙から布地などを用いるようになり、形代(かたしろ)から変化したものといいながらも、デフォルメされたデザインは秀逸なものです。
・ボデイーの部分は平面的な造りなので、ひとりで立つことは出来ず、雛壇や屏風に立てかけて飾っていました。

・形代(かたしろ)から変化したという立雛は、座り雛とは基本的に流れが異なると考えて良いと思います。

■室町雛(むろまちびな)

・時代を重ねるにつれて、子供の遊び道具であった「ひひな」も、大人の鑑賞に堪える人形へと変わってゆきます。
「室町雛」は、現在の内裏雛に近い雛人形の形式を整えてきています。

・スタイルは男雛と女雛とも左右に手を広げ、 お顔も天児(あまがつ)に似た丸顔で、立雛の伝統の残る仕上がりとなっています。

・ 室町時代の雛人形と伝えられていますが、疑問に思います。
時代背景からして、 頭が髪の毛仕上げであり、次郎左衛門雛風の面立ちをしています。

・「室町雛」の名前から検証してみると、地名からの由来ではないかと考えられます。

京都の室町は西陣や呉服関係の商家が多いところ。

・ 衣裳がしっかりとしていることや次郎左ヱ門雛の形式であることなどから考察すると、「京都室町で製作または販売された江戸時代の作品」と考えるほうが妥当のようですが、確証のほしいところです。

・室町雛は不明な部分も多いのですが、重要な文化財的な価値があるということは事実です


■寛永雛(かんえいびな)

・「内裏雛」と呼ばれる「座り雛」は、江戸時代に現在の「親王飾り」に近い形で完成されました。

・寛永雛は、江戸時代の三代将軍家光時代の寛永頃(1624〜1644)に作られたものとされ、この名前がついています。その後の雛人形の源流ともいえる雛人形です。

・髪の毛はまだなく、冠と一緒に黒塗り仕上げなので、初期の作品とわかります。女雛には唐衣や裳もついていなくて、天冠も載せていない造りです。男雛は12cm、女雛は9cm余りと、小型の雛人形です。


■享保雛(きょうほびな)
 
・享保雛(京都国立博物館蔵)
・江戸時代の享保年間(1716〜1736)に流行した雛人形
寛永雛を豪華に高級化したものですが、初期は高さも13cm〜18cmと寛永雛とあまり大きさも変わらない小型なものでしたが、 後には45cm〜60cmくらいの大型の雛人形となってゆきました。

・男雛は両袖を張ったデザインで、太刀を差して笏(しゃく)を手にしています。女雛は五衣(いつつぎぬ)、唐衣(からころも)姿で、袴は綿を入れて膨らませ、ボリュ−ムのある雛人形です。

・大型で豪奢な享保雛は、「奢侈禁止令」などで贅沢すぎると幕府から取締りをしばしば受けるほどでした。このことは雛人形が商業化されて、一般町人の世界に広まってきている証左ともいえます。

■次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)
 ・次郎左衛門雛(京都国立博物館蔵)
・小さなおひなさまで、女びなは両手を開いた姿で、着ている衣服もきものに袴(はかま)で古式のスタイルをしています。

・京都の雛屋次郎左衛門が創始したといわれ、丸顔に引目鉤鼻(ひきめかぎはな)の優雅なお顔が特徴です。18世紀後半の江戸でもてはやされ、公家や上級の武家の間では流行とかかわりなく雛の本流として長く重んじられたといわれています。

■有職雛(ゆうそくびな)
 ・有職雛(京都国立博物館蔵)
・公家社会で飾られたされるお雛様で、 装束は有職の作法に従って忠実に再現されています。
このお雛様は有職の伝統を代々受け継いでいる、山科家と高倉家で調えられたことから、山科雛とか高倉雛とかも呼ばれています。
・着衣の様式によって、束帯雛(そくたいびな)、直衣雛(のうしびな)、狩衣雛(かりぎぬびな)とも呼ばれています。

■古今雛(こきんびな)
 ・古今雛(京都国立博物館蔵)
・江戸時代の明和年間(1764〜72)頃に。江戸十軒店(じゅっけんだな)も原舟月(はらしゅうげつ)が顔を作り、有職雛の形式で作り上げたもの。
「古今集」などの王朝への憧れから名づけたとされ、「古今雛」の名称で呼ばれています。

・現代の雛人形もこの系統を継いでいます。

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