戦国武将が出陣のとき兜の中におさめた

兜仏はお守り

【兜仏】 (かぶとぼとけ)

 この言葉の意味をご存じない方もいるかも?

 戦国の武将が戦いに臨む際、常に身につけていたのが「兜仏」。これは「兜仏」にまつわる・・・お話です。

 大胆な攻撃で敵を討ち破る戦略家として内外に知られた薩摩の太守、島津義弘に従って大活躍した勇猛な武将、後醍院喜兵衛(ごだいいんきひょうえ)の史実に乗っ取ったお話に登場するのがこの「兜仏」です。

 時は戦国時代の終わり頃、・・・「関が原の合戦」が舞台です。
西軍総崩れの中を島津義弘率いる薩摩郡の退却「男子の勇気は進むばかりではない」「撤退にも勇気が必要」・・・ここが・・・運命の別れ道。

 結果はターニングポイントを撤退に絞っての「歴史に残る」武士の鏡・・・
勇気あるお話です。

 それも何と「徳川連合軍」の直前を横切っての退却・・・という実話なのです。その中に登場するのが後醍院喜兵衛という武将です。その関が原の合戦での功績と武勲によって馬一頭と太刀一振を拝領して500石から50石加増されて550石になった話は歴史小説「島津奔る」(池宮彰一郎)にも登場します。

 その後の後醍院家の家宝として大切に保管されている「兜仏」は喜兵衛が乾坤一擲の戦いや徳川軍の直前をまっしぐら横切って退却した時に着用していた「兜仏」として伝えられています。

 レプリカ版の「兜仏」はその戦いの最中に身に付けていたとされる実物を晃月人形が精巧に復元しました。

大黒天を復元

※「兜仏」に関して平成16年11月17日付けの日経新聞、文化欄に河村隆夫氏も寄稿しています。
また「島津奔る」に登場する武将は主人公の島津義弘と今回の兜仏を使った後醍院喜兵衛・・・・さらに石田三成、島左近、徳川家康、井伊直正、榊原康政、本多忠勝、酒井忠次、福島正則、前田昌幸、宇喜田秀家、小早川秀秋・・・など歴史に登場するそうそうたる人物ばかりです。これは歴史の「ひとコマ」を切り抜いた「兜仏」のお話です。