横幅142cm×奥行き71cm×高さ95cm |
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真田十勇士 ジオラマセット 588,000円 |
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猿飛佐助 |
霧隠才蔵 |
筧十蔵 |
三好清海入道 |
根津甚八 |
海野六郎 |
望月六郎 |
由利鎌之助 |
三好伊佐入道 |
真田十勇士 (さなだじゅうゆうし)は、 戦国時代 末期から 江戸時代 初期にかけての武将・ 真田信繁(真田幸村) に仕えたとされる、10人の家臣のこと。伝承上の架空の人物と言えるが、歴史的な由来を持つ人物もある。
立川文庫 以来、 猿飛佐助 、 霧隠才蔵 、 三好清海入道、三好伊三入道 、 穴山小介(穴山小助) 、 由利鎌之助 、 筧十蔵 、 海野六郎 、 根津甚八 、 望月六郎 の10人となっている。
原型は、江戸時代中期の小説『 真田三代記 』に見られるが、「真田十勇士」という表現をはじめて用いたのは、 大正 時代に刊行された立川文庫である。以後の「 ヒーロー としてのイメージ」は、立川文庫という創作物によって定着した。
実在を唱える説、実在の人物がモデルであるとする説もある。真田氏の領地付近に戸隠流忍術の戸隠の里があり、そこから真田イコール戸隠忍者の主人との考えから生まれているという考えもある。 「ヒーローとしての真田幸村」の登場は、寛文12年( 1672年 )に書かれた 軍記物 『 難波戦記 』である。 元禄 期には小説『真田三代記』が成立し、 真田昌幸 ・幸村・ 大助 の三代が徳川家に対して奮戦するストーリーが人気を博した。この『真田三代記』において猿飛佐助と望月六郎をのぞく8人の原型が登場し(筧十蔵、霧隠才蔵の元になったと思われる筧十兵衛、霧隠鹿右衛門が記載されている)、「真田もの」の 講談 の流行によって、真田主従は民衆のヒーローとなった。明治後期の講談は 神田伯龍 『難波戦記』(1899年)などの口演速記本が書き残されている。講談師たちは『真田三代記』にはない 忍術つかい の「猿飛佐助」 [1] を生み出し、「霧隠才蔵」ら真田家の英雄豪傑の物語を膨らませていった。
猿飛 佐助(さるとび さすけ)は、真田十勇士でも屈指の実力と人気を持つ。
架空の 忍者 といわれているが、モデルになった人物には、上月佐助、三雲佐助賢春の名が上がっている。
霧隠 才蔵(きりがくれ さいぞう)は、「霧隠鹿右衛門を元にした架空の忍者」とされる。
伊賀忍者 の頭領・ 百地三太夫 の弟子とされている。
立川文庫の55冊目に『真田三勇士忍術名人 霧隠才蔵』の巻があり、その中でキャラクターが構成されたと考えられている。真田十勇士では猿飛佐助に次いで人気があり、主役を務めることもある。
霧隠才蔵を主人公にした作品も数多い。
『 風神の門 』( 司馬遼太郎 ) 、 『霧隠才蔵』( 火坂雅志 )、 『霧隠才蔵』( 柴田錬三郎 )、
漫画 『豪談 霧隠才蔵』( 永井豪 )など。
三好清海入道(みよし せいかい にゅうどう)、三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)。この兄弟は、『真田三代記』では出羽国亀田の領主出身、立川文庫では 三好氏 出身の破戒僧と設定されている。
三好清海入道のモデルは、大坂の陣において豊臣方で討死した 三好政康 (入道名・清海)と考えられている。政康の弟の 三好政勝 (法名・為三)が伊三入道のモデルとされるが、史実の政勝は徳川方について大坂の陣に出陣した。いずれも80代という高齢での出陣であった。
なお、信繁の側室・隆清院が 豊臣秀次 の娘であり、 三好吉房 の孫にあたることから、隆清院も清海のモデルであるという説もある。
穴山 小介(あなやま こすけ)、もしくは穴山 小助。『真田三代記』によれば、「武田旧臣の 穴山信君 ( 武田氏 の家臣)の縁戚」と言われる。十勇士の穴山小介は、「史実の彼を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説がある。
史実の穴山小介については、以下の通り。
由利 鎌之助(ゆり かまのすけ)。『真田三代記』にも、由利鎌之助の名で登場する。講談本の立川文庫には、『真田三勇士 由利鎌之助』の巻がある。十勇士の由利鎌之助は、「史実の彼を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説がある。
史実の由利鎌之助については、以下の通り。
筧 十蔵(かけい じゅうぞう)。『真田三代記』では筧十兵衛の名前で登場する。 火縄銃 の名手。十勇士の筧十蔵のモデルは、筧十兵衛、又は筧金六郎、あるいはその息子と言われる。また、「創作された架空の人物」という説もある。
史実の筧十蔵については、以下の通り。
海野 六郎(うんの ろくろう)。『真田三代記』には、海野六郎兵衛利一として登場する。十勇士の海野六郎のモデルとしては、他に海野小平太の名も上がっている。
史実の海野六郎については、以下の通り。
根津 甚八(ねづ じんぱち)。モデルについては、禰津小六、 浅井井頼 などがある。
史実の根津甚八については、以下の通り。
望月 六郎(もちづき ろくろう)。爆弾製造に長けていた。『真田三代記』では、望月卯左衛門幸忠として登場する。モデルは望月宇右衛門、望月甚左衛門、望月卯兵衛、望月卯左衛門幸忠など、諸説あり。
史実の望月六郎については、以下の通り。
生没年、出自など 元亀3年( 1572年 ) - 慶長20年 5月8日 (1615年 6月4日 ) 実在の人物と言われている。 真田幸村の家臣。 活躍、最期 大坂の陣では、幸村の嫡男・ 大助 配下となった。敵を情報でかく乱させ、さらに武力を行使して徳川方を尼ヶ崎に敗走させた、と伝えられている。 同年、大助に殉死したと言う説もあるが、実態は不明。 真田氏との関係 真田氏は、海野氏(東信濃の名族、滋野氏嫡流を名乗る)の出自。一方、 望月氏 も滋野氏から分かれており、佐久郡 望月 を拠点とした一族である。このことから、望月六郎も同族出身の可能性がある。
※Wikipedia より引用しています。